美術品買取り専門店 夏樹美術

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夏樹美術の「逸品紹介」

夏樹美術の「逸品紹介」

谷崎潤一郎、佐藤春夫たちを魯迅、郭沫若に引き合わせた内山完造の書

先日、ある日中友好協会関係者のお宅で成瀬無極、吉野作造、谷崎潤一郎、佐藤春夫など日本の文化人と魯迅、田漢、郁達夫、郭沫若たち、中国の文化人の交流の橋渡し役を担った内山完造の書と出会いました。

谷崎潤一郎、佐藤春夫たちを魯迅、郭沫若に引き合わせた内山完造の書「人間は奇跡を生む  鄥其山」

内山完造は魯迅との出会いを奇跡と思ったのでしょうか。そこから生また友情も奇跡だと思ったのでしょうか。

内山完造のペンネーム「鄥其山」は魯迅がつけてくれたと、今の内山書店社長が話してくれました。

そのお宅には中国の大文豪魯迅が内山完造(贈鄥其山)に贈った漢詩の掛け軸(工芸)もありました。

谷崎潤一郎、佐藤春夫たちを魯迅、郭沫若に引き合わせた内山完造の書
廿年居上海 毎日見中華
無聊才読書 有病不求薬
一闊臉就変 所砍頭漸多
忽而又下野 南無阿弥陀

浅学ながら日本語に訳しました。皆様のご意見をお聞かせください。

二十年上海に居す 毎日中華を見る
退屈の時初めて本を読む 病あるも薬を求めず
一旦勢いある時豹変し 次第に首切りが多くなる
忽ち又下野すると 南 無 阿 弥 陀

谷崎潤一郎、佐藤春夫たちを魯迅、郭沫若に引き合わせた内山完造の書
この掛け軸は魯迅の拇印があります。きわめて珍しい書です。

(夏樹美術スタッフ I)


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2017/08/31
萩藩(長州藩)12代藩主毛利斉広の極めて希少な一行書掛け軸を紹介いたします。

12代斉広は「なりとう」と読むそうで、藩主在位は20日と最も短い藩主として記録されており,寂年は23歳という若さであります。
正室も17歳で亡くなっておりますので、よほど何かあったか、と思えるような若死であります。

萩藩(長州藩)12代藩主毛利斉広の一行書掛け軸
これを揮毫したのは何歳ごろであったのか想像したくなりました。
まず斉広(前名崇広)と改名したのは17歳の時とありますので、この書は17歳から23歳の6年の間となります。
藩主になってからの揮毫は考えられません。基本として藩主は印を軸の真ん中に押します。この書は少し下ですので若様と言われた時に書いたのではないかという気分になります。

内容は論語の一説「慎言其餘」と読めます。
斉広は儒者林述斉に師事しておりますので、この語は師の講義を聞いて、将来藩主になるであろう自分の身を律する言葉としてこの語にしたのではないか、そうするとロマンとしてですが、書体の初初しさからして崇広を斉広と改名した17歳の時の書、と思いたくなります。
ご覧になられた 方のご意見をお聞かせいただければ光栄です。

尚、斉広には都美姫という一人娘がおりますが、この姫の婿が最後の藩主「そうせい侯」と言われた毛利敬親で、都美姫は大正2年80歳までの長寿であった事が何か慰めを感じます。

萩藩(長州藩)12代藩主毛利斉広の一行書掛け軸
この掛け軸の一文字紋様は毛利氏の家紋「長門沢潟 一文字三ツ星 五七の桐」であります。

(夏樹美術スタッフ I)


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2017/08/20
初代日本保存刀剣保存協会理事長、本間順治(号は薫山)の色紙です。

初代日本保存刀剣保存協会理事長、本間順治(号は薫山)の色紙
「御神火 賛多々良 薫山士 花押」 と書いてあります。

昭和51年、刀剣保存協会は刀を創るのに必ず必要とされる玉鋼(多々良)を作る職人(このような人を古来 村下 ムラゲと言われていました)が日本からなくなることに危機感を募らせ、国に頼るのではなく日本の刀剣愛好家の有志に呼びかけ、寄付を募り、製鉄発祥の地、島根県に製鉄所を造りました。

刀剣博物館の前に置かれた多々良
刀剣博物館の前に置かれた多々良。

この色紙はおそらく高額寄付者に対して本間順治博士が揮毫されたものと思われます。
本来多々良造りは刀剣より農器具(主に鍬 包丁)などの必需品に使われたはずで、弥生時代から急激に人口が増えたのもこの鉄生産と無縁ではないといわれています。
鉄の発祥の地は出雲の国であります。
最初の村下は朝鮮から渡ってきた渡来人と言われています。
この御神火という意味は出雲大社の神を敬い、一度の多々良を造るのに一山を裸にするほどの炭を必要とした村下たちへの感謝の三文字のような気がします。

刀剣博物館にある本間順治博士像
刀剣博物館にある本間順治博士像

ちなみに本間順治博士は山形県出羽荘内の本間家の当主であられました。
「本間様には及びもないがせめてなりたや酒井様に」と言われるほどの大富豪の家系の方であります。。

(夏樹美術スタッフ I)


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2017/04/06
アボリジナル・アートと草間彌生

お客様のお宅に伺い、玄関を開けたらいきなりこの絵が目に入りました。
一瞬草間彌生の絵を連想してしまいました。

草間彌生の作品は現在、日本絵画の中でダントツに人気の高い作家の一人です。
奥様が笑いながらこれはアボリジニの絵です、と言われ又見入ってしまいました。
色彩とデザインの自由さに感動して即座に買い求めました。
家に帰って調べましたら、何とアボリジニの絵の素晴らしい事か、と感嘆するほどに素晴らしい絵がいっぱい本に載っていました。
アボリジナル・アートと言うのだそうです。

ヨーロッパの点描画は本などでおなじみです。素晴らしいのは素晴らしいのですが、日本にだって世界が誇る点描画家がいるではないか、与謝野蕪村しかり、池大雅、現代では洋画家の高田誠など数えきれないほどの名人上手がいると自負していました。
しかしこのアボリジニの点描画は脳に入ると言うよりもズシンと心臓に刺さるような衝撃感があります。この文字を持たないアボリジニ達の点描画を見て何やら私の頭の観念が変わったような気がしています。

ちなみにオーストラリアには3万5千年前からのアボリジニの絵が洞窟の石に残っているそうです。
いずれも現代に通ずるアートだそうです。
草間彌生を連想してしまったアボリジニ アートをご紹介します。

アボリジナル・アートと草間彌生
(夏樹美術スタッフ N)


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2017/02/05
戦国大名大谷吉継の手紙

昨日、ある古文書収集家のお宅にお邪魔して、戦国大名大谷吉継の手紙を拝見しました。
興奮しました。氏は偶然本屋で古い手紙を貼り合わせた屏風を購入したそうです。
屏風に貼られたものは全部戦国武将の手紙でした。

戦国大名大谷吉継の手紙
この大谷吉継の手紙もその中の一通です。
内容に関してはこれから解読しなければなりません。
研究者の方々、古文書を読まれる方々、ぜひともご教示くだされば幸いです。

戦国大名大谷吉継の手紙
戦国大名大谷吉継の手紙
大谷吉継は豊臣秀吉の家臣で、福井越前敦賀城主。
大谷刑部として現在放映中の大河ドラマ真田丸でその活躍はよく知られておりますが、石田三成と一緒に中国明朝の勅使を秀吉に引き合わせ、明国との和平交渉に貢献したことを付け加えたいものです。
(夏樹美術スタッフ N)


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2016/12/11
書道家 東山一郎先生の書

私はある女流書家に出会いました。
彼女は末期ガンと宣告され、身辺整理もすでに終えたそうです。
私たち夏樹美術にお電話されたのは、一番大切にお持ちになった尊敬する書道家、東山一郎先生の作品についてのことでした。

お話を伺いますと、近々入院されるので、先生の書を好きな方に譲ってほしいと頼まれましたが、私たちも相場がわからず、話し合いの結果、夏樹美術が作品をお預かりすることに致しました。

この「逸品紹介」を通じて東山先生の作品を大切にしていただける方に出会えたら彼女も安心できると思います。

私たちは美術品を通じて幸福、失望、悩みなど様々な人々に遭遇します。
しかし私たちは仕事抜きにして人と人の繋がりも大切だと思っております。
東山一郎先生ゆかりの方もしくはご興味ある方、ぜひご連絡をお待ちいたしております。

書道家 東山一郎先生の書
持統天皇の万葉歌
読み:春過ぎて 夏来たるらし しろたへの 衣干したり 天の香具山
美品 共箱 「東山一郎書作展」(平成20年)に掲載作品と本紙の色が違いますが、内容は同じです。
本紙寸法:30×59センチ 全体寸法:42×143センチ

書道家 東山一郎先生の書
山部赤人の万葉歌
読み:田子の浦ゆ うちいで見れば ましろにそ 富士の高嶺に雪はふりける
美品 共箱 「東山一郎書作展」(平成20年)に掲載作品
第67回謙慎書道会展(2005年)出品作
  本紙寸法:48×25センチ 全体寸法:60×110センチ

書道家 東山一郎先生の書
書道家 東山一郎先生の書
山部赤人の万葉歌
色紙 共タトー

書道家 東山一郎先生の書 富士
色紙 共タトー

書道家東山一郎先生は大東文化大学書道学科の創設に尽力され、日展評議員、読売書法会理事、謙慎書道会常務理事など歴任し、皇太子殿下への書道御進講を20年間担当されました。
著書:
「かな古典の学び方・針切」(二玄社)
「読売書法講座かな(大字)」(読売新聞社)
「美しい「かな」を書きたいあなたへ」(講談社)

(夏樹美術スタッフ N)


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2015/11/04
石原莞爾の掛け軸

満州国を創った、とされる石原莞爾の掛け軸です。 軍人さんの中でも極めて珍しい書軸であります。 内容として(勇敢に突進して止まった時は死んでいる時だ)とでも解釈すればいいのでしょうか。

石原莞爾の掛け軸
満州国は、世界のどの国も非難したほどの、今にして思えば一部の日本人が手品を使って創ったような国、と思われています。
その国の貴人の人たち、ラストエンペラー溥儀、粛親王、恭親王などや、初代首相鄭孝胥など、たくさんの満州国関係の書を夏樹美術で扱ったことがありますが、その書体の品格の貴さにはいつも驚かされます。

石原莞爾は日蓮宗の田中智学の弟子と言われていますが、師の影響が日本の運命に大きくかかわったであろうことは誰にでも想像出来ます。
満州国は歴史の中の一幕にすぎませんが、その舞台に登場したすべての人物が残した足跡がこのような書蹟であると思います。
この御軸の、橋本君はどのような人であったのだろうか、と思いをはせながら逸品紹介をさせていただきました。

(夏樹美術スタッフ I)


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2015/11/04
井伊直弼が摺拓した拓本 上部、井伊鉄三郎直筆の掛け軸

井伊直弼は彦根藩主井伊直中の14男として生まれました。 藩主になる可能性はほぼないと誰しも思いました。 「埋木舎」(うもれぎのや)と自ら名付け、暇を持て余したと考えられます。

井伊直弼が摺拓した拓本 上部、井伊鉄三郎直筆の掛け軸
この掛け軸は井伊直弼27歳、藩主になる8年前、300俵の捨扶持の部屋住み時代のものです。

井伊直弼が摺拓した拓本 上部、井伊鉄三郎直筆の掛け軸
このお軸の上部は「志津嶽の碑 天保13壬寅 井伊鉄三郎 摺拓 花押(井伊直弼の花押)」と井伊直弼(通称鉄三郎)の直筆です。

井伊直弼が摺拓した拓本 上部、井伊鉄三郎直筆の掛け軸
下部は豊後岡藩8代藩主中川久貞が建立した志津ヶ嶽の戦い及び戦国武将中川瀬兵衛を偲ぶ碑の拓本です。

井伊直弼が摺拓した拓本 上部、井伊鉄三郎直筆の掛け軸
巻止めに「志津嶽中川公碑 直弼公御採拓」の記述と「中島宗達蔵」の収蔵印が有ります。
所蔵者だった中島宗達は彦根藩医です。

(夏樹美術スタッフ I)


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2014/11/25
半世紀前の中国卓球、伝説の名選手たちの直筆サイン色紙

まだ中国と国交のなかった半世紀前の中国卓球、伝説の名選手たちの直筆サイン色紙をご紹介いたします。

半世紀前の中国卓球、伝説の名選手たちの直筆サイン色紙
荘則棟は1960年代世界選手権三連覇の名選手であると同時に、ピンポン外交の当事者でもあり、そして、「文革」、「4人組」と中国政治に翻弄された人生を過ごした人物です。

彼は日中国交樹立前から日本を訪問し、卓球を通して日本の選手のみならず、各界名士とも親交を深めてきました。
文化大革命中に監禁され、1970年に周恩来首相によって迫害から免れました。

翌年名古屋大会参加後、間違えて中国選手団のバスに乗りこんできたアメリカ人卓球選手、グレン・コーワンと交流したことをマスコミに大きく取り上げられ、のちに、米中国交樹立につながる出来事となり、荘則棟はいわゆるピンポン外交の当事者になりました。
結果、外交の功労者として国家体育運動委員会主任(スポーツ大臣)に栄転しました。
しかし文革後江青ら四人組が逮捕され、荘則棟もスポーツ大臣であったがために4年間の投獄生活を余儀なくされ、そして離婚もしました。
1985年、14年前に通訳だった日本人女性佐々木敦子と再会し、鄧小平主席の許可を得て、二人は結婚しました。時が過ぎ、昨年2月彼は癌のため北京で死去しました。

日中関係が冷えている昨今、日中友好の為に尽力した先人たちに思いを馳せ、私たち中国書画美術品を取り扱う者は、草の根として日中の友好に貢献したいと思わせる色紙であります。

この色紙の所有者は1960年代初めに書いていただいたと記憶しているとのことです。
荘則棟以外、李富栄、傅其芳、徐寅生、胡道本、李景光、董徳霖ほか計16名の直筆サインとなっております。
この色紙は東京の青梅の方からお譲りいただきました。

(夏樹美術スタッフ N)


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2014/09/27
中村半次郎(桐野利秋)の書

薩摩藩士、中村半次郎、明治になって桐野利秋。この人物の珍しい書をご紹介いたします。

中村半次郎(桐野利秋)の書
鹿児島市の一隅に南洲墓地と言う場所がありますが、その墓地は西南の役の時に戦死した西郷軍の二千余名のお墓で、歴史好きの人たちが必ず行く所となっております。

桐野利秋の墓碑は西郷南洲の隣に祭ってあり、そこには西南の役の語り部の様な方がおられまして、まるで西南戦争が一週間前にあったがごとくにお話しをされ、鹿児島にはまだ明治が生きている、と言う驚きと嬉しさが想い出としてあります。

その語り部の方が眉間にしわを寄せ興奮気味に「司馬遼太郎さんは私の尊敬する小説家ですが、桐野どんを文盲と書いておられるばってんこいだけは承服しかねる。利秋さーには書がいっぱいのこっちょります。」と手にしたコピーの資料をたたいて話されていました。

桐野利秋は雅号を「鴨瞑」と言ったらしく、この書もその様になっております。
内容はどうして読めばいいのか解かりませんが、何やら桐野利秋の逸話とこの掛け軸は離しては考えられないような一幅と思い、夏樹美術の逸品紹介に載せることにしました。
ご意見なり感想おありの方御座いましたらメールいただけます様よろしくお願いいたします。
この御軸は東京渋谷の方からお譲りいただきました。

(夏樹美術スタッフ I)


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2014/07/10
大西瀧治郎中将の一行書

神風特攻隊生みの親、と言われた海軍軍人、大西瀧治郎中将の珍しい一行書をご紹介いたします。

大西瀧治郎中将の一行書
昭和の軍人さんの掛け軸はどこから出てくるのかと思うほど世の中にたくさんありますが、
なかなか出てくることの少ない人物もおり、例えば陸軍では沖縄戦の牛島満中将、本間正晴中将などの名前が挙げられます。
しかし、めったに出会わないとは言え、ないわけではありません。

しかし大西瀧治郎中将の書は絶無と言っても過言ではないでしょう。
この一行書は同じ海軍の部下であったのでしょうか源田実参議議員の所有であったものを、 その部下であった方のご子孫が受け継いだものと聞いております。
世の流れの中で昭和20年がはるか遠くなる事を惜しんだご子孫から、大事にしていただけるなら、 という事で御譲りいただきました。
文名は「池頭春草夢」とあり、朱熹「偶成詩」の一節、「池塘春草夢」と同じ意味と思われ、 池の堤の春草の上で見た夢。夢の多い少年時代・青春時代の楽しさ、またそのはかなさ、とのことです。
家族も持ったことのない青少年兵を国家のためとは言いながら死に追いやった指揮官の断腸の言葉のような気がいたします。
昭和史の好きな私の大事な一品であります。

(夏樹美術スタッフ I)


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2014/03/30
哥川(かせん)遊女初瀬川(長谷川) 豊田屋ぎん 越前三国の遊女にして俳人

女流画家、女流俳人など女性作者の作品にはいつも特別な感情を持っている。
この短冊は越前国三国湊の遊女で俳人の哥川(かせん)の俳句である。
「主やたぞと行くやかね亭きぬたかな」

哥川(かせん)遊女初瀬川(長谷川) 豊田屋ぎん 越前三国の遊女にして俳人
ぎん(哥川)は蕪村と同じく享保元年に大和国初瀬川で生まれる。
16歳で越前国三国出村の「荒町屋」抱えの遊女初瀬川(長谷川)となる。
そして22歳で永正寺永言(俳名・杉原巴浪)に師事、俳人として哥川(かせん)を名乗る。
26歳のころ、遊女としては異例の年期前に江戸に旅し、文人、俳人、絵師と交流。
28歳、金沢にて千代らと句会を開き、加賀千代女と交友。
延享4年31歳で遊女を退いて豊田屋楼主となる。さらに各地の俳人との交流が深まる。
38歳に仏門に入り、滝谷尼と称す。
哥川の代表作である「奥そこのしれぬ寒さや海の音」は、この頃の句とされている。
宝暦11年46歳に千代が三国に哥川を訪ねる。その2年後哥川が松任に千代を訪ねる。
安永3年哥川59歳のころ、千代、蕪村から「玉藻集」の序文を依頼され、協力する。
翌年、千代73歳で没す。その翌年の安永5年に哥川没す、享年61歳。

「照れ光れ加賀越前の月ふた夜」と江戸座女流俳人の田女は、加賀千代女と越前三国の豊田屋哥川をこの句のように並び称している。

(夏樹美術スタッフ N)


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2014/03/08
猿埴輪

猿埴輪
埴輪というと、中国の明器のように死者と一緒に埋葬された、あるいは殉死の代わりに埋葬されたなどと思われがちですが、本来埴輪は古墳の周囲に列状に立てて並べられており、むしろ目立つようにして立てられておりました。

そうした埴輪が長い年月の間に植物や土砂に自然に埋もれて、現在の状態になったのです。
では、何の目的で埴輪は作られたのでしょうか。

当時としては大変な土木工事であっただろう古墳に、だれの墓であるかを示すものが一切見当たらない事を考えると、これらの埴輪は葬られる人の家柄や先祖や個人の功績を顕そうとした目的で、作られ立てられたのではないかと思うのです。

埴輪の種類は、家形、人物、動物、船形、甲冑などと多岐にわたっています。
動物は鹿、犬、鶏、水鳥、牛、馬など当時の人々との関わりのある動物が多く見られます。
そうした中で特に注目されているのが、現在一点しか確認されていない猿の埴輪です。
それは茨城県玉造町より出土した、重要文化財に指定されている子猿を背負った母猿の埴輪で、身近にいる猿を普段からよく観察していると思わせる優れた作品です。

今回紹介する猿の埴輪も、前所有者の話によれば同じ茨城県出土と伝えられるもので、一気にへらで作られた口や顔の表情に、何のてらいのない、気安く作った作者の腕の良さが感じさせられる埴輪です。

ところでなぜ猿の埴輪だけ数少ないのでしょうか。
猿だけは食用としていなかったからという意見も過去には有りましたが、最近の発掘調査では猿も食用の対象となっていたことが分かっています。猿は当たり前に周りに数多くいたからでしょうか。
非常に興味のあるところです。ところで重要文化財の猿の埴輪には子猿がいた痕跡のみで、子猿は失われています。ひょっとしたらこの小さな猿の埴輪が、失われた子猿かもしれません。
そんな夢を見させてくれる埴輪であります。

この逸品紹介をお寄せいただいた方は、私どもと長いお付き合いをいただいている、横浜のお寺のご住職様でございます。
このコーナーにご自分の逸品を載せてみたいとお思いの方は大歓迎でございます。

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2014/01/28
須恵器有蓋四耳壺(薬壺)

東京都と神奈川県との境を流れる多摩川の流域には、古代から多くの人々が住みつき、縄文時代からの遺跡が数多く点在する。
四世紀になると古墳が造られ始め、この地域では五世紀から七世紀にかけて造られた飛田給、下石原、布田、国領、白山などの古墳群が知られている。
現在では遺跡のほとんどが地上部分は削りとられ、一目で古墳とわかるものは残っていない。
しかしそれら多摩川流域の遺跡から発掘され出土した幾つかの壺が大変注目されている。
多摩川の中流、小田急線とJR南武線の交差する登戸付近で発見された重文の山菜の壺。
下流域の川崎市幸区の白山古墳にて発見された国宝の秋草文壺。
多摩川上流域の昭島市にて発見された須恵器獣足壺などである。
いずれも国の文化財として大変貴重なものであり、それらはこの地域に古くから有力な豪族達が住みついていた証しでもある。

須恵器有蓋四耳壺(薬壺)
今回のこの壺は、このような地域の中間に位置するJR南武線武蔵溝の口駅近郊の、川崎市高津区下作延555番地にて、昭和17年に宅地造成中に偶然発見されたものである。

神奈川県史によれば、出土地は丘上の少し盛り上がったように見える所で、壺の中には灰と火葬骨が納められていたという。
須恵器としては他に類例のない形状で、肩の張りも鋭く、耳は角が鋭く仕上げられており、全体がシャープな造形である。何か特別に製作されたもののように思うが、それが骨蔵器として造られたものか、なにかの転用かは明らかではない。
四つある耳には穴が開いており、この穴に紐を通して蓋を固定したものと思われるが、もしそうであれば、蓋についている宝珠型の摘みもただ単に蓋を摘む目的だけではなく、そこに紐を巻きつけて固定するという利用も有ったのではないか。あるいは発見地の付近には、久末という地名もあり、須恵器と何らかの関係がある地名ではないのかなど、被葬者への想いと共に興味は尽きない。

この逸品紹介をお寄せいただいた方は、私どもと長いお付き合いをいただいている、横浜のお寺のご住職様でございます。
このコーナーにご自分の逸品を載せてみたいとお思いの方は大歓迎でございます。

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2017/02/05
幕末 長州藩士の書巻物

幕末、長州(今の山口県)は討幕に走るもの、それを過激として反対するもの、入り混じって内紛の一時期がありました。 その数年の間、体制派からは過激派、過激派からは志士と言われる人たちの若くして刑死した人たちの巻物が手に入りました。 幕末愛好者にはたまらないほどの資料のような気がします。

幕末 長州藩士の書巻物
幕末 長州藩士の書巻物
巻首は福原越後、藩家老。禁門の変の責任で自刃。 国司信濃、執政の責任を執って自刃。和歌に巧みだったといわれています。 前田孫右衛門、号は陸山。幕府恭順派のために斬首。 中村九郎、恭順のあかしとして斬首佐久間佐兵衛、恭順派によって刑死。 吉田松陰門下生とあります。

幕末 長州藩士の書巻物
幕末 長州藩士の書巻物
渡辺清、中村雪樹、宮城彦介そして前原一誠、白石正一郎、僧月性、野村望東尼、僧月照など幕末フアンならだれでも知っている志士の墨蹟です。

幕末 長州藩士の書巻物
幕末 長州藩士の書巻物
幕末 長州藩士の書巻物
山口県の地元にはこれら志士の書は残っているでしょうか。
久坂玄瑞の書が入っていれば、なお面白いのですが。
それにしても日本人はなんと敗者に対する優しさを持つ民族でしょうか。
彼らを決して埋没させない、という気持ちがこの巻物に込められているような気がいたします。
これは東京の文京区で求めました。

(夏樹美術スタッフ I)


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2013/11/26
中国 清朝 玉の硯屏

硯屏(けんびょう)とは硯のそばに置き、ほこりを防ぐと同時に硯を引き立たせる装飾衝立(ついたて)のこととされる。
この清朝の硯屏は玉板を紫檀の枠台に嵌めたもの。実に凛として美しい。

中国 清朝 玉の硯屏
玉の表は清朝康煕・雍正・乾隆の三皇帝に仕えたイタリア出身の洋画家郎世寧の八駿図であると玉の裏に彫られた銘文からわかる。
玉の裏には乾隆帝の軍機大臣として20年近く務めた清朝重臣于中敏の題が彫られている。
銘文は「権與十駿図驕皇癸亥歳命世寧郎至今歴二十餘年…御製玉鏤八駿歌」云々約二八〇の文字が彫刻されている。

中国 清朝 玉の硯屏
中国に限らず日本の文人も書斎で書画をはじめ飾る文房具としての硯屏、端渓硯、螺鈿筆、竹彫筆筒、芙蓉印材、堆朱香合などを愛で楽しんだに違いない。

(夏樹美術スタッフ N)


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2013/11/16
岡倉天心の教育勅語

世にも珍しい書をご紹介いたします。岡倉天心の教育勅語の直筆です。

上の印は天心居士、下の印は岡倉覚三 天心の本名です。
岡倉天心は初期日本を代表する文化人です。天心を何より有名にしているのは、大正、昭和を代表する日本画家、横山大観を弟子とした事ですが、3年位前に大観が終生天心を慕っていたと思われるエピソードを手にした事があります。

岡倉天心の教育勅語
岡倉天心の教育勅語
岡倉天心の教育勅語
岡倉天心の教育勅語
大観は一人の鋳造家に天心の銅像を造ってもらったお礼に霊峰富士の絵を描いて送っていますが、偶然その作品が私どもの所に、まさに天から降臨したようにして入った事があります。
鋳造家のお孫さんから譲りうけました。今回は岡倉天心の書です。

岡倉天心の教育勅語
私どもにはこの書の真贋は判りませんが、本来教育勅語とは道徳を日本の教育の根幹とした言葉らしい、と言う事がこれを調べているうちに理解する事が出来ましたし、岡倉天心は思想家で教育家ですから、当時としたらこの様な書も書かなかったとは言えない様な事もいたしますが…。

もしこのサイトをご覧になり、御意見、感想などございましたら、ぜひご教授頂けたらと思います。

この書は東京都高輪のお宅からお譲りいただいたものです。

(夏樹美術スタッフ I)


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2013/10/20
坂本龍馬の妻 お龍の父、楢崎将作の書

楢崎将作 坂本龍馬夫人、お龍の父

この掛け軸は坂本龍馬の妻お龍の父楢崎将作の書である。

楢崎将作・(坂本龍馬夫人、お龍の父) 文化10年京都で医師の子として生まれる。
名は貺、字は大蔵、東崦、繁杏と号した。
楢崎家は元長州藩士で祖父の時代除籍となり京都で医者を開業した。
将作も家を継いで、京都で医者を業とした。また青蓮院宮尊融法親王の侍医でもあった。
尊王の志が篤く、頼三樹三郎ら志士と積極的に交流し、「安政の大獄」では投獄され、文久2年病没している。
坂本龍馬の妻お龍は本名楢崎 龍、将作の長女であった。
父の死により裕福な家庭はたちまち困窮し、一家離散、家具や衣類を売って生活をするようになった。
母は土佐藩出身の尊攘派志士たちの隠れ家で賄いをするようになり、おそらくその縁で龍馬とお龍は元治元年頃に出会っている。
父楢崎将作の早すぎる死(49歳)が無ければ龍馬とお龍の出会いも無かったであろう。
お龍の弟で楢崎家を継いだ太一郎は楢崎家が没落すると、京都金蔵寺などに預けられ、大正14年没している。

坂本龍馬の妻 お龍の父、楢崎将作の書
読み:猿嘯風中断 漁歌月裏聞 中国唐時代の詩人李白の漢詩「過崔八丈水亭」からの一節である。

坂本龍馬の妻 お龍の父、楢崎将作の書
落款は「貺書」、印章は「楢崎貺」、「大蔵氏」である。 この珍しい掛け軸は東京都文京区で求めたものである。

(夏樹美術スタッフ N)


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2013/10/20
越中の「左甚五郎」 10代目長谷川喜十郎 の彫刻作品

千葉の市川から買い取り依頼がありました。
長谷川喜十郎と言う彫刻家の木彫りがある、とのお電話です。
この仕事を何十年続けていますが、いつも初めて聞く作家名が出てまいります。
存知ませんであわてて調べました。富山県の作家とあります。
地元の同業者に聞きましたが、知らないと言われました。富山県の美術書だけを頼りに、お宅に伺いました。

越中の「左甚五郎」 10代目長谷川喜十郎 の彫刻作品
越中の「左甚五郎」 10代目長谷川喜十郎 の彫刻作品

品物を拝見しますと15センチぐらいの牛の木彫と、10センチぐらいの葉っぱの上に鎮座している、蛙の図であります。
来歴をお聞きしますと、奥さまの実家が富山との事で、お父上が開業医をされていたらしく、お宅の仏壇を作っている合間にこの二つの彫り物を彫ってもらった、と言う事でした。

北陸、特に富山県は浄土真宗門徒の多い所で仏壇に莫大なお金をかける、と聞いた事があります。
長谷川喜十郎家は代々仏壇を作る事を生業としていた、と資料に有ります。
特に10代目喜十郎は仏像彫刻だけでなく絵画など多芸に秀でた人であったとあります。
当時、越中の「左甚五郎」と謳われた匠でありました。

越中の「左甚五郎」 10代目長谷川喜十郎 の彫刻作品
越中の「左甚五郎」 10代目長谷川喜十郎 の彫刻作品

こちらも価値の程を解らないまま御譲り頂きましたが、それにしてもこの世界の何と奥深い事か、とため息が出ます。
8月の暑い日に一服の清涼の心を頂いた様な一日でありました。

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2013/08/26
田中一村の絵をご紹介いたします

この作品は年譜を見ると彼の18歳の時の作品で、その時の号は米邨であります。

田中一村の絵
田中一村は奄美大島で生涯を終えていますので、今は、奄美の宝となっております。
しかし一村は栃木、千葉 東京が永く、その頃は南画をモチーフとしていました。
この作品は一村が東京美術学校に入学した年ですが、同期生に東山魁夷、加藤栄三、橋本明治、山田信吾などがいたそうです。
その中で一村ほど劇的な生涯を送った人も珍しく、それ故か今でもその人気は衰えません。

田中一村の絵
田中一村の絵

日本の美術品がなかなか上向きにならない中、伊藤若冲、曽我蕭白、高島野十郎、そして田中一村など当時異端とされていた画家が今、脚光を浴びていることを思う時、芸術とはなんと玄妙なものか、と思わずにはいられません。この軸は京都で求めました。

呉昌碩
余談:あるオークションからの資料
上の絵は中国の画家呉昌碩の作品です。田中米邨(一村)は呉昌碩の影響を受けたでしょうか。
二人に接点はあったでしょうか。謎であります。
一村18歳の大正15年(1926年)、呉昌碩は82歳でした。

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2013/08/01
豪華な蒔絵の器局を紹介いたします

今まであまり取り扱った事のない珍しいお茶道具に使う、器局をご紹介します。

豪華な蒔絵の器局
豪華な蒔絵の器局
豪華な蒔絵の器局
豪華な蒔絵の器局
豪華な蒔絵の器局
豪華な蒔絵の器局
豪華な蒔絵の器局

どのような高貴な方が使われたのでしょうか。豪華な蒔絵の器局であります。
それならばあまり珍しいことではないのですが、この器局は朝鮮の文人画家の絵をモチーフに扇子や団扇をかたどった蒔絵であることです。
金圭鎮 安中植 金応元 趙錫晋の銘が刻まれております。
団扇は柄と縁と骨のところをべっ甲であしらい、梅の絵は螺鈿が嵌めこられております。
題字も落款も螺鈿で埋め込まれ、本人の書体を忠実に表しておりますし、安中植の絵は背景を銀地に仕上げ、青貝の螺鈿など宝石を思わせます。
金応元 金圭鎮の書画は共に朝鮮、日本とのコラボレーションは見事であります。全体を金梨地であしらい、金具は布目象嵌で全体を引き締めております。
日本の蒔絵技術と朝鮮文人画家の融合は初めてのことで最初は不思議に思いました。
おそらくどこかの注文品であろう、と思っておりましたが数日たって底の埃を拭こうと思い横にしましたら、文字が出てきました。「李王家美術工場謹製」とあります。
それで合点がいきました。私たちは政治問題だけに目を向けるのではなく、こうした美術工芸、芸術の見地から歴史を見るのも悪くはないな、と思うのですが…、何よりこれを作った職人さんが一番喜ぶような気がいたします。

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2013/07/12
川島芳子 「神性東洋」の掛け軸

川島芳子と言う女性をご存知でしょうか。
彼女が書いた「神性東洋」の掛け軸をご紹介します。

川島芳子 「神性東洋」の掛け軸
川島芳子は戦前、男装の麗人と言われ、一時期日本で有名になった女性ですが、本来は中国清王朝の末裔で、本名は愛新覺羅・顯㺭(あいしんかくら けんし)、という名前です。
父親は粛親王(しゅくしんおう)。粛親王は愛新覚羅家の祖先ホンタイジの長男の子孫で、清王朝では筆頭の名家でした。
粛親王は女の子を信州松本の川島浪速という日本人に養女縁組をさせますが、その子が日本名川島芳子となります。
しかし貴種の生まれである事と美貌とそれを隠さぬ行動から、時の関東軍、満州国から利用されることになります。
結果的にスパイのようなことをさせられますが、本当の願いは清王朝の復活、本当の中国の独立であったと言われております。
日本が太平洋戦争に負け、満州国が瓦解したとき、川島芳子は中国の裏切り者として、銃殺刑に処されます。その時の名前は日本人としてではなく漢名、金璧輝でした。
遺体を引き取り日本の長野松本に埋葬した人は、後の臨済宗妙心寺派管長になる古川大航というお坊さんでした。

この掛け軸は東京都台東区上野で買い入れたものです。
長年この仕事に携わってきた中で、川島芳子、中国名の金壁輝の直筆掛け軸は初めてであります。
日本には埋もれた歴史がまだ無尽蔵にある、そう思えるような一幅の掛け軸であります。

(夏樹美術スタッフ I)


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2013/06/28
富士行者・小谷三志の自画像の掛け軸

祝! 富士山が世界文化遺産になりました。
富士山が世界文化遺産に登録される理由の一つは富士信仰の文化です。
今回、ご紹介する逸品は富士行者・小谷三志の自画像の掛け軸でございます。

富士行者・小谷三志の自画像の掛け軸
富士行者・小谷三志
平安時代から富士山は信仰の山として女人禁制、女性の立ち入ることを禁止していました。
ところが天保3年禁を破って一人の女性が富士登山を強行します。
それを先導したのが富士行者小谷三志です。

彼は明和2年武蔵鳩ケ谷に生まれ、本名は庄兵衛、行者名を三志、生地にちなんで鳩谷三志ともいわれ、富士講の一派である不二道を興します。
文化6年江戸に出て、富士講2代目教主の伊藤参行に入門、禄行三志の行名をもらい、富士講身禄派の祖食行身禄の教説を日常的な倫理観に高め、天保9年に、それを「不二道」と称し、 京に上り公家や文人と交際してその公認を目指しました。

富士講の男女平等思想をさらに徹底し、社会事業への労力奉仕も勧め多数の信者を得、当時信者は全国に5万人余を超えるといわれる程になりました。
天保12年立派な墓を立ててくれるなと遺言して世をさります。

時は移り明治4年富士山の女人禁制が解かれ、信仰登山は徐々に衰退してゆきます。
代わって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、
いつしか小谷三志も歴史に埋もれた存在となりました。

(夏樹美術スタッフ K)


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2013/06/24