夏樹美術と中国美術

私が美術品、とりわけ中国書画を取り扱う事になったのは不思議なめぐりあわせからでした。

今にして思えばこうなるべくして成った、とも思うこともあります。

私の故郷蘇州は古くから唐寅、文徴明、沈周、祝允明など大勢の画家、書家、文人を輩出し、中国ではその文化的地位が極めて高い古都であります。そして多くの名士が世俗から離れ、書画を嗜み、余生を悠々自適に過ごす隠居の地として蘇州を選びました。

現在も文人墨客の住居跡は多く、記念館や美術館になっており、それそのものが観光地になっていることはご存知と思います。

小学生の時に書の勉強のため、門の上に彫られた扁額や、展示していた書画作品を見に父に連れて行ってもらったものです。おかげで書画美術品を見る鑑識眼が培われ、今があるような気がします。

本物の美術品が持つ「美」と「雅」と作者の魂を感じられるようになるにはやはり学問や知識だけでは不十分で名品、逸品を見ることですし、今もその習慣として、美術館や博物館には月に2、3度は訪れ、常に真の美術品と芸術品が持つ力をいただいております。

夏樹美術と中国美術 夏樹美術と中国美術

父は、蘇州人である事をとても誇りに思っていました。

時折買ったばかりの骨董品を、大事そうに、そして自慢げに語ってくれたものです。そして薄給なためいっぱい買えないのを嘆いていました。

父は文化大革命中、お寺の前で美術品や掛け軸を紅衛兵が燃やしているのをみながら自分が燃やされるような痛みを感じたそうです。

時代の荒波を一人では抗えないもどかしさをどうすることもできなかったと、悲しそうに話していました。

文化大革命が終り、父は名士や書家、画家の関係者から美術品を譲り受けた事がありました。日本留学も父の勧めです。その時にアルバイトよりは書画売買のほうが良いだろうとの理由で鄭孝胥の四幅対など中国書画を持たしてくれました。

千葉大学在学中私の人生を左右する出会いが有りました。

ご縁があってホームステイ先は美術商で現在夏樹美術鑑定士の井ノ上師匠のお宅になりました。

その頃は日本がバブル崩壊し始めたころでした。当時中国の書画はとても安かった事に驚きました。

師匠は日本書画と中国書画を大量に仕入れていたことで、私が一点一点整理して目録にして販売することを手伝いました。

毎月約200点を超える作品を取り扱う事が20数年間続き、私はこの仕事からかけがえのない知識と経験を得ました。


これも奇縁としか言いようがない事ですが、ある人の紹介で、神田神保町の内山書店ビル5階に夏樹美術を設立いたしました。8年前です。

今は内山会長には様々なことをご相談させていただき、そして助けていただいている仲でございます。

会長は戦前戦後の中国日本の歴史など生き字引きの方で、私の知らなかったこと、学校では習わなかったことなど、目からうろこが落ちるほどの知識を教えていただいております。

神田神保町界隈はかつて多くの中国文化人、書家、画家、革命家、宗教家などたびたび訪れ、または住み着いた町でもあります。

周恩来をはじめ周作人、孫文、黄興、張之洞、蒋介石、汪兆銘、弘一などなどの名前がすぐに浮かぶほどです。

彼らが遺してくれた書き物を眺め、彼らの息吹を感じながらこの地で中国美術品にかかわる仕事ができることの縁を,私の大事な宝物とし、そしてその遺志を継承していく事がこのご縁をいただいた使命のひとつだと考えております。

夏樹美術と中国美術


ご存知の方が多いと思いますが、内山書店は日中友好協会理事長、内山完造の弟嘉吉氏が開いた書店であります。
内山完造翁は日中文化人の交流の場としても名の通った「上海内山書店」の店主であり、中国近代文学の父である魯迅や、日本と深い関係を持つ郭沫若らを始めとする大勢の中国文士と交流、日中友好に多大な貢献を与えた人物として中国では広く知られております。

内山完造翁の生涯については、現在作製中の日中友好に関するページに詳細に記述いたしますが、先日内山書店現店主であります内山籬氏にお話を伺う機会を頂きました。

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