清時代(1616-1912)の陶磁は、中国陶磁史の到達点・総決算と称される。この時代においても陶磁器生産の中心地は引き続き景徳鎮窯であった。
明時代の万暦帝の死去後廃止されていた景徳鎮の官窯は康熙20年(1681年)頃に復活する。以後、康熙(1662 – 1722年)、雍正(1723 – 1735年)、乾隆(1736 – 1795年)の3代、18世紀までが清代陶磁の最盛期であった。
清時代には粉彩または琺瑯彩と呼ばれる、西洋の七宝を応用した絵付け法が開発され、磁器の器面に絵画と変わりない細密な図柄が描けるようになった。色釉も伝統的な青磁釉や黒釉に加え、さまざまな色調のものが開発された。
こうして、清時代の磁器は、焼成技術、絵付けの技術ともに最高度に達し、人工美の極致を示すこととなった。いったん頂点を極めた清の磁器は、19世紀以降は、国内の混乱と国力の衰退とともに従来の水準を保つことが困難となり、衰退に向かっていった。
五彩とは多彩の上絵付けの陶磁で、白釉陶の上に花鳥・人物などを描いたものである。
色彩が華やかであるから康煕五彩は万暦赤絵よりも民窯では盛んに制作されている。
五彩には、三国志や水滸伝のような小説の演劇化した民衆に好まれるような柄のものや、地を黄色や黒・青色に塗り、開光と称する各様式の枠を描きその中に五彩で花鳥・山水画を描いたもの、黒地に白梅・紅梅の図を配するなど、陶画としての特徴を生かしたものも多い。
桃花紅蓋物 一対
ピーチブルームとも称される桃花紅は紅色の中に緑の苔のような窯変のでたもので、康煕の名品と言われ、太白尊、観音瓶、小合など小さいものが多い。
これらには「大清康煕年製」という銘があるが、いわゆる郎窯には名の入ったものがない。
釉裏紅(辰砂)も青花とともに元代に始まって双璧をなすものである。
この手法は明代の宣徳・成化時代にも行われているが、紅色は青色よりも困難で、しばしば紅色が黄味がかっていたり紫黒になったりして不安定な釉薬となる。
康煕時代になって完全にこの紅色が安定した。この研究によってまた種々の紅色美の陶磁が制作され、名称も複雑になった。
雍正時代になると胎土は康煕時代よりも精錬されて白くなり、青料(コバルト)も宣徳青花の如き外国産の上質なものとまではいかないが、よく精錬されてきたのでムラが無くなる。
それでもまれにはわざわざムラを作るために青料を重ね塗りして濃くしたり淡く釉を施したものもある。
それだけに素朴な味わいはなくなり整った上品さを目的として作っただけに白地に青一色だけであるが、文様の静雅と器の形に心を配ったようである。
清朝康煕年間には青花釉裏紅の製産が再び行われるようになり、続く雍正年間には優れた作品が焼かれるようになった。
描金:金彩の一種。焼成された素地、あるいは上絵素地に金で文様を描き、上絵窯で焼き付ける。
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