12代斉広は「なりとう」と読むそうで、藩主在位は20日と最も短い藩主として記録されており,寂年は23歳という若さであります。
正室も17歳で亡くなっておりますので、よほど何かあったか、と思えるような若死であります。
これを揮毫したのは何歳ごろであったのか想像したくなりました。
まず斉広(前名崇広)と改名したのは17歳の時とありますので、この書は17歳から23歳の6年の間となります。
藩主になってからの揮毫は考えられません。基本として藩主は印を軸の真ん中に押します。この書は少し下ですので若様と言われた時に書いたのではないかという気分になります。
内容は論語の一説「慎言其餘」と読めます。
斉広は儒者林述斉に師事しておりますので、この語は師の講義を聞いて、将来藩主になるであろう自分の身を律する言葉としてこの語にしたのではないか、そうするとロマンとしてですが、書体の初初しさからして崇広を斉広と改名した17歳の時の書、と思いたくなります。
ご覧になられた 方のご意見をお聞かせいただければ光栄です。
尚、斉広には都美姫という一人娘がおりますが、この姫の婿が最後の藩主「そうせい侯」と言われた毛利敬親で、都美姫は大正2年80歳までの長寿であった事が何か慰めを感じます。
この掛け軸の一文字紋様は毛利氏の家紋「長門沢潟 一文字三ツ星 五七の桐」であります。
(夏樹美術スタッフ I)