宋の第2代皇帝の書道の師である王著と、宋初期第一の書家といわれた李建中は、ともに後蜀からきた人で、『説文解字』を校訂した徐鉉は南唐からきた人である。
はじめは唐の模倣による保守的な書風から始まったが、第4代皇帝の頃から革新的な動きが起こり、顔真卿や楊凝式を基盤とした独創的な書家が生まれた。
その代表が宋の三大家といわれる蘇軾・黄庭堅・米芾であり、これに蔡襄を加えて、宋の四大家ともいう。
宋の四大家
蔡襄
北宋第4代皇帝(1022~1063年)の頃、宋朝第一の書家と称せられた。
その書は楷行草の各体をよくし、行書が最も優れたと評される。概して伝統派の本格的な書を書いているが、大字は顔真卿の書風であり、宋の顔真卿とも称された。
また、その中に宋代の豪放縦逸な書風の先駆をなすものを含んでおり、蔡襄の出現が後の革新的な宋の三大家を生む素地となった。
なお、本来の四大家は蔡襄ではなく蔡京との説もある。
蘇軾
中国第一流の文豪であるが、書においても名をはせた。
書は二王からはじめ、のち顔真卿・李邕を学んだ。
書の中に人間性を確立し、他人の書を模倣することを排し、技巧よりも独創性を尊んだ。
蘇軾は黄庭堅や米芾より少し先輩であったため指導的な地位にあり、特に思想的に彼らに与えた影響は大きいといえる。
蘇軾は顔真卿の革新的な立場を理想とし、黄庭堅と米芾はこの考えを発展させた。
黄庭堅
蘇軾の人物を尊敬し、その門で書を学んだ。
黄庭堅は、「書に最も大切なものは、法則にとらわれず自由に心のままに表現することであり、唐の諸大家は法則にとらわれてこれを失ってしまった。
張旭・顔真卿に至ってこの逸気を再現した。」と言っている。
書画がうまかった上に鑑識に優れたため、北宋第8代皇帝の書画の研究およびコレクションの顧問となり、非常に重く用いられた。
その鑑識眼は中国史上最高といわれる。
また、自らも収蔵し、臨模に巧みで、晋唐の名跡をよく臨模した。彼の作った摹本は原本と区別することができなかったという逸話がある。
顔真卿・欧陽詢・柳公権・褚遂良を学び、後に二王らの晋人を深く研究したが、彼ほど古典を徹底的に研究した者は稀である。
書画についての著書も残し、今日でも王羲之や唐人の真跡を研究する上で最も重要な参考資料となる。
三大家の中で彼の書は実力の点で最も優れているといえる。
蘇軾・黄庭堅・米芾の三家の共通点は、唐以来の技術本位の伝統的書道を退けて、創作を主とする書芸術を打ち立てたことにあり、これは明・清以後の近代書道の方向を示すものとなった。
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