夏樹美術は、お客様からお譲りいただいたものの中から、これは後世に残したいなとか、あるいはそこのお客様にとって先祖から大事にされていたもので、歴史的に物語のあるお品物で、これはと思うものを紹介しておりますが、今回は日本国を一躍世界に轟かせた海軍大将、東郷平八郎の揮毫した書に、日本は到底ロシアの海軍に勝ち目はないとされていた海戦を覆し、大勝利に導いた策戦家、秋山真之が添え状をした珍しい逸品を紹介します。
東郷元帥の書は真作、贋作問わずとにかく多いですが、秋山真之の墨蹟は誠に少なく、世に出回ることはめったにありません。本来坂本龍馬もそうですが、秋山真之も司馬遼太郎の小説によって英雄になったようなところがあって、当時、日本中にその名を知られていなかったのかも知れませんが、とにかく書など少ないことは事実です。私たちは小説「坂の上の雲」で秋山真之を知るだけですが、近代日本の土台を作った人たちの中の一人であった事は、司馬文学で知る事が出来ました。
この巻物は「感憤啓発」という東郷元帥の四文字に海軍軍令部からの秋山中将の手紙が貼ってあります。この巻物にはこれを所持していた方の添え状がありまして、色々そのいきさつが書いてあります。
手紙の中に「塚本君」のことが書いてありますが、添え状によりますとこの方は塚本嘉一郎という人で、秋山真之の兄である日本騎兵隊創設の父とされる秋山好古の娘婿だそうです。秋山真之はこの塚本嘉一郎に鯉の絵を送ったと添え状にあります。秋山中将の鯉の掛け軸は有名ですがそのことでしょうか。
資料によると塚本嘉一郎は佐賀出身で日中魯を駆けた鉱業家、とあります。大正6年、日本と中国の鉱業と、主要物産のための日支規約締結にかかわった時の人たちの中に、日本側から、犬塚信太朗、秋山真之、塚原嘉一郎、菊池良一、芳川憲治、中国側から孫文、張人傑、蒋介石が署名した、とありますから手紙の「塚本君」は嘉一郎と思われます。正岡子規は秋山真之の少年時代の無二の親友であったことは、つとに知られています。
この手紙のきれいな書体を見ていると、武人の書というより文人の書を思わせます。
小説によると秋山真之は文学者になるつもりで子規と上京した、とありますから判るような気も致します。古来、日本には存亡の時、必ずそれを救う偉人が出ますが、秋山真之もその一人のような気がします。「敵艦見ゆとの報に接し連合艦隊は直ちに出動 これを撃滅とす 本日天気晴朗なれども波高し」こんな名文がほかにあるだろうか、と思えるほどの名文を秋山真之は歴史に残しています。この巻物はご遺族の意向により名を伏せてあります。
印は「安喜山」とあります。秋山をもじった印と思いますが、名文家の将軍と知られた秋山真之のユーモアとおしゃれを感じます。なぜこの印にしたのか知っておられる方、ぜひお教えください。夏樹美術の知識の玉手箱に収めたいと思います。