先日上野不忍池に面する横山大観記念館へ足を運びました。
現在東京都近代美術館で開催されている「生誕150年 横山大観展」を見に行きたいと社長と話をしていたところ、横山大観記念館もいい場所だからついでに行ってみればという話になり前哨戦として訪れたのです。
横山大観は明治41年に池之端のこの地に住み始め、昭和20年の東京大空襲で焼失した大観邸を昭和29年に自らの強い希望でほぼ旧態に再建したそうです。
そのたたずまいは現在の東京の中でもただならぬ存在感を放っていました。
入口はそのまま玄関を利用しているのですが、横山大観のお宅にお邪魔するような気分になり、気持ちも自然と高揚しました。
中は美術館のように所狭しと横山大観の作品が並んでいるわけではないのですが、愛用の筆や硯、墨などの道具が当時横山大観が制作作業をしていた時のように再現されて置かれていました。
使い込まれた筆から巨匠の作品が生み出されたのかと思うとそれだけでもとても尊いものに見えてきます。
玄関入ってすぐのところに本人が使用していた色鉛筆のセットも置いてありました。
とても丁寧に削られた色鉛筆ですが、特に黄緑色が他の色と段違いに短く、使い込まれている様子がうかがえました。
風景画をよく描いていたのでしょうか。道具一つからもいろいろなものが見えてきます。
1階の鉦鼓堂からは庭園がとてもよく望め、畳に正座して右を見て初夏の庭園、左を見て重要文化財に指定されている「木造不動明王立像」ととても贅沢な空間を味わうことができました。
1階に再現されている横山大観の制作風景の様子に置かれている巨大で分厚い毛氈は一部フエルトが削れており、おそらくそこに肘を当てていたのだろうとかつての巨匠の制作の様子を想像します。
2階には富田渓仙にあてた手紙や、戦後の復興の願いを込めて描かれた「或る日の太平洋」、横山大観自らが買い求めた富田渓仙作の「祇園夜桜」が展示されています。
自然光を利用して製作を行っていたという部屋には外からの光が現在もよく差し込み、窓の外には不忍池も見られます。これはまさに当時横山大観が見ていた景色です。
横山大観記念館に今回置かれていた作品は水墨画が多かったのですが、不思議なことに見ているとだんだんカラーに色彩が表れてくるのです。
人間の脳がそう色補正しているのだということはわかるのですが、とても不思議な感覚でした。
そうしたら水墨画の世界ではもともと「墨に五彩あり」といって墨の濃淡の書き分けから色彩を感じ取るのが当たり前だったのですね。
今回は記念館でも「墨に五彩あり」展として展示をしており、私はまんまとその術中にはまってしまったようです。
驚いたことは横山大観が大事に所有していた墨はなんと朱舜水のものだそうです。
以前の夏樹通信「文京区小石川後楽園」にも書きましたが、朱舜水は水戸藩に仕えた中国明末清初の文人です。
横山大観が中国の古墨を使って、全長40m余りの巨作水墨絵巻「「生々流転」を描いたそうです。
次回はこの名作が展示されている東京近代美術館の横山大観展の様子を送ります。
(夏樹美術スタッフ H)