先日、稲の収穫と天日干しの準備にいそしむ岡山吉備の農家の風景を見ながら私は内山完造の生家を目指しました。
ちょうど内山完造の出身町、芳井町のふるさと祭りに向かう一行に出会いました。一世紀も前に完造少年もこのような祭りを楽しんだと思いをはせながら内山完造生誕の地に到着しました。
記念碑しかありませんが、近くの内山家ゆかりの成福寺の長い階段を、活発だった完造少年が駆け上っていく姿が目に浮かぶようでした。ここから内山完造はやがて中国上海で内山書店を開き、中国の大文豪魯迅と出会い、日中友好に一生を捧げる文化人に成っていったのは不思議なめぐりあわせのように思いました。
今回、私は「内山完造と岡山」内山完造没後60周年記念シンポジウムを聴講するために岡山に来ました。
シンポジウムは岡山日中友好協会片山浩子会長のご挨拶から始まり、前回に続き神奈川大学の孫安石教授による内山完造研究会の活動報告、内山書店内山籬会長の内山完造未公開アルバムについてのご報告がありました。
さらに神奈川大学大里浩秋名誉教授の内山完造と日中友好運動、岡山市日中友好協会松井三平専務理事の中西寛治と岡山の日中友好運動、さらに岡山大学森田潔名誉教授の現在から未来に引き継ぐ内山完造と郭沫若などの講演がありました。
詳しくは内山完造研究会のホームページhttp://uchiyamakanzo.jugem.jp/ と
岡山市日中友好協会のホームページ http://www.oka-rizhongyouxie.jp/ をご覧ください。
約一千三百年前に備中国から吉備真備が遣唐師として唐に渡りました。彼は18年間もの長い年月を大陸で過ごしました。おそらく吉備真備の才能と人柄が唐の玄宗帝をはじめ多くの大臣、学士、僧侶に認められたからでありましょう。吉備真備は大量の書物、書籍、仏典、経典のほか、尺八、銅律管などの楽器、日時計、弓、矢など文物も日本に持ち帰りました。正倉院には吉備真備が聖武天皇に献上したと伝えられている尺八があるそうです。
令和元年12月26日、共同通信から吉備真備が書いたとみられる墓誌が中国で発見されたとの報道がありました。
史上初めて発見された吉備真備が書いた文字は、研究の上できわめて貴重な資料になります。
二度も中国の南宋に渡った臨済宗開祖、建仁寺開山の栄西も備中生まれ、帰朝後禅宗とお茶を日本に広めたことで知られております。
近代には、岡山出身の首相犬養毅は日本亡命した康有為、梁啓超、孫文、蒋介石など中国の革命家を援助し、文人で書家でもある彼は、木堂と号し、中国の古書画、硯、墨など収集家としても多く知られております。
岸田吟香も岡山出身で、従軍記者を経て、実業家として日清の友好と貿易の促進に尽力したことが知られています。岸田吟香が支援した荒尾精、根津一が日清貿易研究所や東亜同文書院を設立、大勢の中国通を育て上げました。
戦後、日中覚書貿易事務所代表として日中国交正常化に尽力された岡崎嘉平太も岡山吉備生まれです。岡崎嘉平太は周恩来首相と深く親交があり、「兄弟」と呼び合うほどの仲であったそうです。
内山完造のほか、吉備真備、栄西、犬養毅、岸田吟香、岡崎嘉平太など、岡山出身の中国と深い結びつきを持つ多くの偉人を知り、 備中岡山の文化と歴史をますます知りたくなりました。