熊谷守一の絵といえば、真っ先に猫の図を思い浮かんできます。
茶色の画面に簡潔に直線と曲線で輪郭づけられたうつ伏せの白い猫が寝ています。
実に穏やかで、見る者も幸せな気持ちになります。
先日、神田神保町から近く竹橋の東京国立近代美術館で現在開催されている「没後40年 熊谷守一 ~生きるよろこび~」大回顧展へ行ってきました。
一切の無駄をそぎ落とし対象の本質をとらえた画法、熊谷守一様式が私たちを魅了します。
97歳という長寿を全うするまでに画家として非常に多くの絵を残しており、回顧展では各年代における彼の画家という人生を時系列でみることができます。
写実画からスタートして熊谷守一様式が確立されるまで実に様々な題材で描かれた作品を見て、彼が終生画家としてテーマにしてきたのは「光と影」「生と死」であるのかなと感じました。
光と影については東京美術学校(現東京芸術大学)に在学中に描かれた写実画からも試行錯誤して追い求めていたことが、やや暗めの肖像画の輪郭のコントラストがドラマティックに表現されていることからもわかります。
のちにこの表現は極限まで切り詰められ、線と面とで簡潔に描かれた守一様式へと昇華されていくのです。
人間の目はもともと物を立体的にとらえることができるようになっているので、ともすると幼子が塗り絵を塗ったように見える守一様式の絵も奥行きが感じられるようにみえ、見つめていると絵が揺らいで動いているように見えてくるのもすべて彼の計算だったように思えます。
生と死に関してはのちに彼が「生きていることが好き」「いつまでも生きていたい」と語ったことから彼がすべての生を愛おしく思い生き生きと描いていることからもよくわかりますし、自身の子「陽(よう)」が亡くなった時に亡くなった子を描いた「陽が亡くなった日」、結核で寝込んでいた「萬(まん)」を描いた作品と亡くなった後子どもたちとともに骨壺を持って歩く様子を描いた「ヤキバノカエリ」、若い時に轢死体を見た時に描かれた「轢死」から生と真逆の死を常に意識していたことが実に生々しく感じられます。
熊谷守一の絵の最大のコレクターは美術収集家の木村定三でありました。
木村定三コレクションには中国の古美術品もあるようです。
熊谷守一の絵と中国の古美術品に両方惹かれた理由は故人に聞いてみたいものです。
(夏樹美術スタッフ H)