昭和51年、刀剣保存協会は刀を創るのに必ず必要とされる玉鋼(多々良)を作る職人(このような人を古来 村下 ムラゲと言われていました)が日本からなくなることに危機感を募らせ、国に頼るのではなく日本の刀剣愛好家の有志に呼びかけ、寄付を募り、製鉄発祥の地、島根県に製鉄所を造りました。
この色紙はおそらく高額寄付者に対して本間順治博士が揮毫されたものと思われます。
本来多々良造りは刀剣より農器具(主に鍬 包丁)などの必需品に使われたはずで、弥生時代から急激に人口が増えたのもこの鉄生産と無縁ではないといわれています。
鉄の発祥の地は出雲の国であります。
最初の村下は朝鮮から渡ってきた渡来人と言われています。
この御神火という意味は出雲大社の神を敬い、一度の多々良を造るのに一山を裸にするほどの炭を必要とした村下たちへの感謝の三文字のような気がします。
ちなみに本間順治博士は山形県出羽荘内の本間家の当主であられました。
「本間様には及びもないがせめてなりたや酒井様に」と言われるほどの大富豪の家系の方であります。。
(夏樹美術スタッフ I)