女流画家、女流俳人など女性作者の作品にはいつも特別な感情を持っている。
この短冊は越前国三国湊の遊女で俳人の哥川(かせん)の俳句である。
「主やたぞと行くやかね亭きぬたかな」
ぎん(哥川)は蕪村と同じく享保元年に大和国初瀬川で生まれる。
16歳で越前国三国出村の「荒町屋」抱えの遊女初瀬川(長谷川)となる。
そして22歳で永正寺永言(俳名・杉原巴浪)に師事、俳人として哥川(かせん)を名乗る。
26歳のころ、遊女としては異例の年期前に江戸に旅し、文人、俳人、絵師と交流。
28歳、金沢にて千代らと句会を開き、加賀千代女と交友。
延享4年31歳で遊女を退いて豊田屋楼主となる。さらに各地の俳人との交流が深まる。
38歳に仏門に入り、滝谷尼と称す。
哥川の代表作である「奥そこのしれぬ寒さや海の音」は、この頃の句とされている。
宝暦11年46歳に千代が三国に哥川を訪ねる。その2年後哥川が松任に千代を訪ねる。
安永3年哥川59歳のころ、千代、蕪村から「玉藻集」の序文を依頼され、協力する。
翌年、千代73歳で没す。その翌年の安永5年に哥川没す、享年61歳。
「照れ光れ加賀越前の月ふた夜」と江戸座女流俳人の田女は、加賀千代女と越前三国の豊田屋哥川をこの句のように並び称している。
(夏樹美術スタッフ N)