江戸時代の漂流民というと、大黒屋光太夫と高田屋嘉兵衛が有名ですが、長崎と中国清朝の貿易船に関する資料を読みますと、かなり多くの日本の漂流民が中国の貿易船で帰国を果たしているようです。
これは中国清朝道光3年(1823年 文政6年)長崎行きの貿易船寧波の船主楊啓堂が書いた文書です。
この文書からは、中国清朝から長崎への貿易船に日本の漂流民を乗船させ、帰国させたことが示されています。
鎖国の日本でありながら、長崎を通じて幕府の目の及ばないところで中国人と日本人の海域交流がスムーズに出来ていたのではないかと読み取れます。
さらに、日清貿易によって人の交流、文化の交流も盛んだったと思われる文書です。
内容はあらましこのような文章ではないかと思います。
本船は11月24日に乍浦から出発し長崎行き貿易並びに貴国(日本)漂流商民三人を護送する船であり、本船共計百十六人。
風不順のため、正月初朔日に貴地口外(港だと思います。)に寄港、しかし風と浪強く、不測事態の恐れがあり、遠い長旅異常に苦しい疲れを考え、速く大頭に申し上げた次第です。
大きい船を内奥に暫く奉進寄掟し、長崎へ再行奉進します。小船を準備することを伏してお願い致します。
また、食料を給付することも望みます。すべての事がくれぐれも遅れないよう取り計らえた事に感謝いたします。
道光三年 初二日 寧波船主 楊啓堂 竹筒有呈一張
(夏樹美術スタッフ N)