川島芳子「神性東洋」の掛け軸

川島芳子と言う女性をご存知でしょうか。
彼女が書いた「神性東洋」の掛け軸をご紹介します。

川島芳子は戦前、男装の麗人と言われ、一時期日本で有名になった女性ですが、本来は中国清王朝の末裔で、本名は愛新覺羅・顯㺭(あいしんかくら けんし)、という名前です。
父親は粛親王(しゅくしんおう)。粛親王は愛新覚羅家の祖先ホンタイジの長男の子孫で、清王朝では筆頭の名家でした。
粛親王は女の子を信州松本の川島浪速という日本人に養女縁組をさせますが、その子が日本名川島芳子となります。
しかし貴種の生まれである事と美貌とそれを隠さぬ行動から、時の関東軍、満州国から利用されることになります。
結果的にスパイのようなことをさせられますが、本当の願いは清王朝の復活、本当の中国の独立であったと言われております。
日本が太平洋戦争に負け、満州国が瓦解したとき、川島芳子は中国の裏切り者として、銃殺刑に処されます。その時の名前は日本人としてではなく漢名、金璧輝でした。
遺体を引き取り日本の長野松本に埋葬した人は、後の臨済宗妙心寺派管長になる古川大航というお坊さんでした。

この掛け軸は東京都台東区上野で買い入れたものです。
長年この仕事に携わってきた中で、川島芳子、中国名の金壁輝の直筆掛け軸は初めてであります。
日本には埋もれた歴史がまだ無尽蔵にある、そう思えるような一幅の掛け軸であります。

(夏樹美術スタッフ I)