富士行者・小谷三志の自画像の掛け軸

祝! 富士山が世界文化遺産になりました。
富士山が世界文化遺産に登録される理由の一つは富士信仰の文化です。
今回、ご紹介する逸品は富士行者・小谷三志の自画像の掛け軸でございます。

富士行者・小谷三志


平安時代から富士山は信仰の山として女人禁制、女性の立ち入ることを禁止していました。
ところが天保3年禁を破って一人の女性が富士登山を強行します。
それを先導したのが富士行者小谷三志です。

彼は明和2年武蔵鳩ケ谷に生まれ、本名は庄兵衛、行者名を三志、生地にちなんで鳩谷三志ともいわれ、富士講の一派である不二道を興します。
文化6年江戸に出て、富士講2代目教主の伊藤参行に入門、禄行三志の行名をもらい、富士講身禄派の祖食行身禄の教説を日常的な倫理観に高め、天保9年に、それを「不二道」と称し、 京に上り公家や文人と交際してその公認を目指しました。

富士講の男女平等思想をさらに徹底し、社会事業への労力奉仕も勧め多数の信者を得、当時信者は全国に5万人余を超えるといわれる程になりました。
天保12年立派な墓を立ててくれるなと遺言して世をさります。

時は移り明治4年富士山の女人禁制が解かれ、信仰登山は徐々に衰退してゆきます。
代わって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、
いつしか小谷三志も歴史に埋もれた存在となりました。

(夏樹美術スタッフ K)