坂本龍馬の妻 お龍の父、楢崎将作の書

楢崎将作 坂本龍馬夫人、お龍の父

この掛け軸は坂本龍馬の妻お龍の父楢崎将作の書である。

楢崎将作・(坂本龍馬夫人、お龍の父) 文化10年京都で医師の子として生まれる。
名は貺、字は大蔵、東崦、繁杏と号した。
楢崎家は元長州藩士で祖父の時代除籍となり京都で医者を開業した。
将作も家を継いで、京都で医者を業とした。また青蓮院宮尊融法親王の侍医でもあった。
尊王の志が篤く、頼三樹三郎ら志士と積極的に交流し、「安政の大獄」では投獄され、文久2年病没している。
坂本龍馬の妻お龍は本名楢崎 龍、将作の長女であった。
父の死により裕福な家庭はたちまち困窮し、一家離散、家具や衣類を売って生活をするようになった。
母は土佐藩出身の尊攘派志士たちの隠れ家で賄いをするようになり、おそらくその縁で龍馬とお龍は元治元年頃に出会っている。
父楢崎将作の早すぎる死(49歳)が無ければ龍馬とお龍の出会いも無かったであろう。
お龍の弟で楢崎家を継いだ太一郎は楢崎家が没落すると、京都金蔵寺などに預けられ、大正14年没している。

読み:猿嘯風中断 漁歌月裏聞 中国唐時代の詩人李白の漢詩「過崔八丈水亭」からの一節である。

落款は「貺書」、印章は「楢崎貺」、「大蔵氏」である。 この珍しい掛け軸は東京都文京区で求めたものである。

(夏樹美術スタッフ N)