五・一五事件と犬養毅

先日5月15日は五・一五事件の起こった日ということで永田町周辺の当時の現場付近を散歩しました。1932年(昭和7年)の当時の面影を追います。
まず行ったのは首相官邸です。首相官邸を目指して歩いていたので見つけた時に思わず「ここか・・」と言って一瞬立ち止まったら警備中の警官に「今日はどちらへいかれるのですか?」と声をかけられました。
事情を説明して写真を撮らせてもらいましたが、ここはいつでもピリピリとしたムードが肌に突き刺さるようです。

五・一五事件で殺害されたときの総理大臣犬養毅は号を木堂に持ち、書道家としても評価が高い。
頭山満と共に中国歴遊、辛亥革命前後に交流のあった康有為、梁啓超らを援助したり、1911年には亡命中の孫文を生家にかくまったり、1929年には亡命中の蒋介石を庇護したり、書家呉昌碩による自用印を使用するなど非常に親中派の人物でした。
教育においては東亜同文会会員で、神戸中華同文学校や横浜山手中華学校の名誉校長も務めました。

蒋介石らと  (Wikipediaから転載)

康有為、梁啓超が亡命時に日本に駐在した千代田区平河町の三橋旅館は今は住友不動産のビルに、孫文が逗留していた同じく平河町の片山栄次郎宅などもビルが建っていて、共に当時の面影は全くありませんが、歩いていける距離に日本の政治の真ん中があり、犬養毅ら自分たちにとっての庇護者のおひざ元でありと、場所柄孫文、康有為、梁啓超らにとって立地が良かったことはよくわかります。

次に向かったのは五・一五事件の時に襲撃にあった立憲政友会本部と三菱銀行跡です。
立憲政友会本部は現在の東京電力本社となっていてこれもまた当時の面影は全くありません。
三菱銀行跡は現在は三菱一号館美術館となっています。
この建物は明治時代に日本で活躍した建築家、ジョサイア・コンドルにより建てられた三菱一号館を復元した建物として当時の雰囲気を醸し出してくれます。

手元に犬養毅の手紙があります。逓信大臣時代に鮭二尾を贈られたことに対するお礼です。
三行と短いものですが、直々に筆を執り、書かれたお礼の手紙は犬養毅の人柄が偲ばれます。

(夏樹美術スタッフ H)